岩崎弥太郎の人生から学ぶハングリー精神



岩崎弥太郎から学ぼう

HNK大河ドラマ「龍馬伝」で弥太郎役の香川照之さんの熱演も素晴らしく、弥太郎の目線の語りによって話が進むこともあり、「岩崎弥太郎」という人物に興味を持った人も多いかと思います。

当サイトの管理人もその一人です。

ドラマで見た岩崎弥太郎は生まれつきとても貧しく、身分も低いので、現三菱グループの創始者とはとても思えませんでした。しかし、岩崎弥太郎の人物像を調べる内にこのような人物であるからこそ、立身出世出来たのだろうと納得しました。

このサイトでは岩崎弥太郎の魅力や岩崎家の家訓から、困難に負けない人格、現状を打破できる力強さを学んでいきたいと思います。

岩崎弥太郎の経歴

激動の時代を駆け抜け、大出世を遂げた弥太郎の年表です。年表からもどんなに貧しく、自分が困難に直面してもくじけない力強さを感じることが出来ます。

岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、天保5年12月11日(1835年1月9日)- 明治18年(1885年)2月7日)享年51歳

東洋の海上王と呼ばれた「三菱グループ」の創始土佐国(現在の高知県安芸市)の生まれ。地下浪人(じげろうにん)岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。海運業で成功し三菱財閥の初代総帥となる。関わりのある人物に坂本龍馬・渋沢栄一・大隈重信らがいる。

天保5年(1835年)土佐国に岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。
嘉永元年(1848年)
14歳
当時の藩主、山内豊熈に漢詩を披露し才を認められる
安政2年(1855年)
21歳
学問のため江戸の安積艮斎(あさか ごんさい)の見山塾に入塾
同・安政2年(1855年)酒の席での喧嘩により父が投獄され帰国。父のえん罪を訴えた弥太郎も投獄される。獄中で同房の商人から商売を学んだとされる。
-弥太郎は投獄後村を追放されたが、蟄居(ちっきょ)中の吉田東洋が開いた少林塾に入塾。才能を認められる。
安政4年(1857年)
25歳
吉田東洋が参政(上士の最上位階級)に復職すると、土佐藩の商業の発展のため長崎に派遣される。しかし、公金で遊蕩したため半年で帰国。
安政6年(1859年)
27歳
下士の次女である喜勢(きせ)と結婚。借財をして曾祖父が手放した郷士株を買い戻す。
文久2年(1862年)
30歳
吉田東洋が暗殺され犯人探索の命を受ける。江戸参勤に同行し大阪へ、書類不備で帰国。帰国後長崎での藩費浪費の責任などを問われ、役職を辞す
慶応元年(1865年)
33歳
弥太郎と喜勢の間に長男の久弥が誕生。同じ頃、勝海舟が長崎に「亀山社中」(後の海援隊)を設立し、当時脱藩していた龍馬たちに運営を任せていた。
慶応3年(1867年)
35歳
参政の後藤象二郎(吉田東洋の甥)に土佐商会の主任(長崎留守居役)に抜擢され、貿易業に従事。グラバーなどが取引相手だった。坂本龍馬が脱藩の罪を許され、亀山社中は海援隊として土佐藩に引き継がれることになる。海援隊は藩の外郭機関へ。弥太郎は藩命により海援隊の経理を担当する。
明治元年(1868年)
36歳
長崎の土佐商会が閉鎖され、弥太郎は開成館大阪出張所(大阪商会)へ移る。
明治2年(1869年)
37歳
大阪商会は九十九(つくも)商会と改称、海運業に従事する。
明治3年(1870年)
38歳
土佐藩の少参事に昇格(中老格)、大阪藩邸の責任者になる。九十九商会を藩の責任者として監視する。
明治4年(1871年)
39歳
廃藩置県により土佐藩少参事の地位を失う。九十九商会(三菱の前身)は民営化、弥太郎が実業家として経営する。
明治5年(1872年)
40歳
「九十九商会」は「三川商会」に社名変更。経営幹部の川田、石川、中川亀之助の川の字にちなんで命名。
明治6年(1873年)
41歳
「九十九商会」を「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」と改称し弥太郎の個人企業として再スタートを切る(独裁体制・ワンマン経営)この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせ三菱のマークが誕生。
明治7年(1874年)
42歳
台湾出兵の軍事輸送を引き受け政府の信任を得る。
明治10年(1877年)
45歳
西南戦争でも、輸送業務を独占。政府の仕事で大きな発展を遂げる。
明治14年(1881年)
49歳
大隈重信が失脚し。強力な後援者を失う。
明治15年(1882年)
50歳
三井財閥などの反三菱財閥勢力(渋沢栄一ら)が共同運輸会社を設立。三菱と共同運輸の海運業争いは2年間続く。
明治18年(1885年)
51歳
ライバルと競争のさなか51歳で胃がんにより病死した。(2月7日)

弥太郎の死後、弟の岩崎弥之助ら(三菱2代目)が政府の後援を受け三菱商会と共同運輸会社は合併し「日本郵船」となります。

岩崎家と土佐藩の階級システム

当時の土佐の階級システムでは上士と下士に分かれており、その中でさらに細かい階級に分かれていました。

農民も下士の一部と考えられており、下士の侍には株(郷士株)が与えられてます。困窮するとこれを売る事になりました。

岩崎家では曽祖父・弥次右衛門の代に郷士の株を売り地下浪人になったと言われています。かなり低い身分となります。

因みに坂本龍馬の生家は郷士株を買ってサムライになった家系です。郷士株は農民でも買えたので途中からでも侍(下士)になれるシステムでした。

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